3月28日、鹿児島戦没者墓地慰霊祭に参列しました。当墓地は明治30年に熊本から鹿児島に移駐し明治31年に編成を完結した歩兵第45聯隊が、その後の戦没者を葬り守ってきたものです。 私の亡父も昭和17年に歩兵第45聯隊(伊敷兵営)で編成された歩兵第94大隊(通称:広7314)出身であり南方や沖縄へ部隊が抽出される中、警備部隊として中支に残り終戦となり復員しました。戦後、戦友会で当墓地に参拝していたようです。 雨が激しく降り注ぐ中、鹿児島戦没者墓地顕揚会会長の石崎鹿児島市隊友会支部長の号令下、地元町内会の皆様とともに隊友会会員が主力となり会場を設営、国分自衛隊隊員のラッパによる君が代吹奏により慰霊祭は厳粛に開始されました。 各地の慰霊祭に参列しいつも思うことは、野党系の議員の参列や電報がほとんどないことです。主催者も諦め案内しないのかもしれませんが、主義主張は違えども日本国民として英霊に対する感謝や慰霊の念は共通のはずで彼らに国民感覚とズレがあるのでしょう。政権与党の政策がうまくいかなくても野党の支持率が上がらないのはこんなところにも理由の一つがあるのではと思ってしまいます。国難に殉じた先達のことを理解し慰霊しようともしない、更には現役の自衛官にも慰労や激励の言葉もほとんどない国のリーダーに誰がついていくしょうか。選ばないでしょう。「士は己を知る者のために死す」という言葉を思いだしてしまいました。 |