鹿児島県隊友会

 会員の活動状況

                  鹿児島県原子力防災訓練に参加して                令和6年2月10日に薩摩川内市において鹿児島県原子力防災訓練が鹿児島市を含む県内で大々的に行われました。
 私は現職時衛生科隊員だったこともあり、准看護師、診療放射線技師や放射線取扱主任第一種の資格を取得しており、現在鹿児島県診療放射線技師会南薩支部の役員をしています。今回訓練に参加したのは県の地域防災計画(原子力編)の中で避難時の住民の放射医物質による汚染の有無を診療放射線技師が行うことになっているため県技師会からの協力要請により参加したものです。
 訓練場所は日置市吹上町中原にある吹上中央公民館でした。ここでは薩摩川内市やいちき串木野市からの避難者が放射性物質による汚染がないかを調べて、避難場所への避難を円滑にする役目を担っていました。訓練場所には車両の除染目的で第12普通科連隊や第8特科連隊の車両がありました。私が参加したのは指定場所検査で頭部(前・後)、両手、両足裏を測定することが任務でした。汚染が確認されれば、別の場所で詳細に測定して汚染箇所を確定し、除染後測定して避難所に向かってもらう流れになっていました。
 過去の訓練では全身真っ白な服を着て、トイレに行くのも難しく終わる頃には汗だくになっていましたが、今回はエプロン、キャップ、マスク、2重手袋とある程度簡易になっていて訓練終了時まで苦痛になることはありませんでした。
 川内原子力発電所の稼働が60年まで運転延長されることが検討されている現在、あらゆることを想定した訓練が必要だと思います。年齢的にはそろそろ若い人に交代してと思いますが、参加すると刺激を受けることが多く要請があればまた参加してもいいかなと思っています。 
                                   いちき串木野支部副支部長 川西義浩 記
 
 ・ 写真写真中央左(向かって左から4番目が筆者(技師界会理事、川西義浩氏)
 ・  ほかの7名は一般の病院等で診療放射線技師として働いている鹿児島県診療放射線技師会の方々です。



               県隊友会「幟」を寄付受け
 県隊友会副会長の松田英久氏(鹿児島中央・海自)から県隊友会幟8振りの寄贈がありました。松田副会長は、港に海自艦艇が入港するたびに水交会(水交会事務局長も兼務)の旗を岸壁に掲揚して艦艇入港隊員の激励をずっと続けています。隊友会も継続的に掲示していますが、隊友会の旗が古いものを使用しているのを見かねて新しい多くの旗で激励してほしいとの気持ちで寄贈していただきました。真新しい幟で艦艇入稿等激励していきたいと思います。ありがとうございました。
                                    県隊友会事務局次長 後藤光一記
        
        
             兒玉会長(向かって左)に幟を贈呈する松田副会長(向かって右) 

                  姶良支部会員の紹介
 姶良支部最年長である小川瀬津夫氏97歳を紹介させていただきます。
 小川氏は、太平洋戦争時少年飛行兵として活躍し、警察予備隊に入隊後、都城・前川原・函館・山口・都城・国分と全国を異動されました。
 現在趣味である弓道の腕前は、錬士6段で各種大会に参加して上位入賞を多数経験しました。また、後輩指導者の育成や若手の指導に従事しているそうです。さらに足腰を鍛えるために今でも自治会のグランドゴルフに参加して楽しんでいます。長生きの秘訣は、好き嫌いなく何でも食べ、適度な運動をし、読書を楽しむことだそうです。我々も小川氏を見習って規則正しい生活と適度な運動を重ね、楽しく健康で長生きを目指したいと思います。           姶良支部事務局長 吉牟田 章記
       


            有馬隊友が南さつま市「主役大賞」第1号を受賞 
 目立たないながらも、地道な活動で地域の模範となり元気や笑顔を届け市民を表彰する制度を創設した南さつま市長から「主役大賞」の第1号として南さつま支部の有馬秋義隊友(95才)が選ばれました。
 有馬隊友は、自宅前の国道270号沿いの清掃をほぼ毎日続けるとともに、地元のお祭りでは得意のハーモニカ演奏を披露したり、コロナ前は施設訪問等も行い、地域の活動を盛り上げていました。                                この功績により「主役大賞」受賞が地元の南日本新聞(3月20日朝刊)に紹介されました。                                                  南さつま支部長 加治原文浩 記


  特別会員の本坊南さつま市長(向かって左)と本人(中央)です。右側の方はご近所の方です。       

              尖閣諸島が日本領である歴史的根拠
  福岡の商人、古賀辰四郎氏が1884(明治17)年、探検隊を派遣し、尖閣諸島を発見。その後、日本政府が他の国の支配が及ぶ痕跡無いことを検討して、1895(明治28)年1月に国際法上正当な手段で日本の領土に編入、日本の民間人が移住し、鰹節工場・羽毛の採集などが行われ、一時200人以上の住人が住み、税の徴収も行われていた。  
 1919(大正8)年冬、福建省の漁船が尖閣沖で遭難し魚釣島に漂着した際、日本人住民が救護した際に、当時の中華民国駐長崎領事は翌1920(大正9)年に感謝状を贈ったが、そこには「日本国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記されている通り、尖閣諸島が日本の領土で有ることを認めている。
 1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約でも「沖縄の一部」として米国の施政下におかれ、1972(昭和47)年沖縄返還協定でも日本の領土どして返還された。
 中国が「領有権について主張を始めたのは、1969(昭和44)年、国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された2年後の1971(昭和46)年以降である。
 11月19日加藤官房長官記者会見で現在中国の船、尖閣航行「年間300日以上」と深刻な状態で、11月28日現在の中国公船確認83日連続(台風以外毎日)先日、日本を訪問した中国要人の発言「尖閣諸島は中国の領土で有ると日本に来て堂々と主張」これに対し、マスコミも報道しない・国会でも取り上げない。外務大臣も直ち に反論しない。・・・何かがおかしい?
                                                                 瀬戸内支部長  碩  悟
 参考文献
 1 日本国外務外務省発行の尖閣
   日本の領土をめぐる情勢 (尖閣諸島パンフレット)
 2 ネット「政治」「国際情勢」「歴史」:尖閣諸島が日本領である決定的な証拠とは?
          中央支部松田隊友が「個人的」に撮影した尖閣諸島の魚釣島

柏木