鹿児島県隊友会

 会員の活動状況

               県隊友会「幟」を寄付受け
 県隊友会副会長の松田英久氏(鹿児島中央・海自)から県隊友会幟8振りの寄贈がありました。松田副会長は、港に海自艦艇が入港するたびに水交会(水交会事務局長も兼務)の旗を岸壁に掲揚して艦艇入港隊員の激励をずっと続けています。隊友会も継続的に掲示していますが、隊友会の旗が古いものを使用しているのを見かねて新しい多くの旗で激励してほしいとの気持ちで寄贈していただきました。真新しい幟で艦艇入稿等激励していきたいと思います。ありがとうございました。
                                    県隊友会事務局次長 後藤光一記
        
        
             兒玉会長(向かって左)に幟を贈呈する松田副会長(向かって右) 

                  姶良支部会員の紹介
 姶良支部最年長である小川瀬津夫氏97歳を紹介させていただきます。
 小川氏は、太平洋戦争時少年飛行兵として活躍し、警察予備隊に入隊後、都城・前川原・函館・山口・都城・国分と全国を異動されました。
 現在趣味である弓道の腕前は、錬士6段で各種大会に参加して上位入賞を多数経験しました。また、後輩指導者の育成や若手の指導に従事しているそうです。さらに足腰を鍛えるために今でも自治会のグランドゴルフに参加して楽しんでいます。長生きの秘訣は、好き嫌いなく何でも食べ、適度な運動をし、読書を楽しむことだそうです。我々も小川氏を見習って規則正しい生活と適度な運動を重ね、楽しく健康で長生きを目指したいと思います。           姶良支部事務局長 吉牟田 章記
       


            有馬隊友が南さつま市「主役大賞」第1号を受賞 
 目立たないながらも、地道な活動で地域の模範となり元気や笑顔を届け市民を表彰する制度を創設した南さつま市長から「主役大賞」の第1号として南さつま支部の有馬秋義隊友(95才)が選ばれました。
 有馬隊友は、自宅前の国道270号沿いの清掃をほぼ毎日続けるとともに、地元のお祭りでは得意のハーモニカ演奏を披露したり、コロナ前は施設訪問等も行い、地域の活動を盛り上げていました。                                この功績により「主役大賞」受賞が地元の南日本新聞(3月20日朝刊)に紹介されました。                                                  南さつま支部長 加治原文浩 記


  特別会員の本坊南さつま市長(向かって左)と本人(中央)です。右側の方はご近所の方です。       




  地区協議会郡山支部の堀之内 孜級員(91才)は、平成7年隊友会会員として入会依頼26年の永きにわたる会活動に協力した功績により、本部から高齢者表彰を受賞した。
  以下、お礼文を紹介します。「謹啓 残暑の候、益々ご清栄のことと心よりお慶び申し上げます。さて、この度は功労賞をいただき、身に余る光栄と感じております。誠に有難うございます。特に上司や先輩、同輩や後輩の皆様に恵まれ、さまざまな支援をいただき、心より感謝申し上げます。退職後40年「隊友」投稿40回の掲載をいただきました。また、地方紙「南日本新聞」でも92回の掲載を受けております。後余生の許す限り、投稿していきたいと思っています。今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。 敬具」
 長い間、誠にお疲れさまでした。これからもどしどし投稿され、ますますお元気に頑張ってください。
                                  鹿児島地区協議会事務局長 後藤光一 記



        奄美駐屯地司令から感謝状受賞

                                        瀬戸内支部 令和4年3月6日

  瀬戸内支部事務局長 重村 満久氏は3月6日(日)奄美駐屯地・瀬戸内分屯地開設3周年記念式典に於いて、駐屯地司令より感謝状を受賞しました。

  功績の概要

  重村事務局長は、瀬戸内支部事務局長及び西桜会会員として防衛思想の普及により自衛隊に対する理解と信頼の獲得に貢献すると共に奄美群島において隊員保全に資する各種情報の収集・提供により部隊の保全事業に貢献した功績」

                                 瀬戸内支部長  碩  悟 


              尖閣諸島が日本領である歴史的根拠
  福岡の商人、古賀辰四郎氏が1884(明治17)年、探検隊を派遣し、尖閣諸島を発見。その後、日本政府が他の国の支配が及ぶ痕跡無いことを検討して、1895(明治28)年1月に国際法上正当な手段で日本の領土に編入、日本の民間人が移住し、鰹節工場・羽毛の採集などが行われ、一時200人以上の住人が住み、税の徴収も行われていた。  
 1919(大正8)年冬、福建省の漁船が尖閣沖で遭難し魚釣島に漂着した際、日本人住民が救護した際に、当時の中華民国駐長崎領事は翌1920(大正9)年に感謝状を贈ったが、そこには「日本国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記されている通り、尖閣諸島が日本の領土で有ることを認めている。
 1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約でも「沖縄の一部」として米国の施政下におかれ、1972(昭和47)年沖縄返還協定でも日本の領土どして返還された。
 中国が「領有権について主張を始めたのは、1969(昭和44)年、国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された2年後の1971(昭和46)年以降である。
 11月19日加藤官房長官記者会見で現在中国の船、尖閣航行「年間300日以上」と深刻な状態で、11月28日現在の中国公船確認83日連続(台風以外毎日)先日、日本を訪問した中国要人の発言「尖閣諸島は中国の領土で有ると日本に来て堂々と主張」これに対し、マスコミも報道しない・国会でも取り上げない。外務大臣も直ち に反論しない。・・・何かがおかしい?
                                                                 瀬戸内支部長  碩  悟
 参考文献
 1 日本国外務外務省発行の尖閣
   日本の領土をめぐる情勢 (尖閣諸島パンフレット)
 2 ネット「政治」「国際情勢」「歴史」:尖閣諸島が日本領である決定的な証拠とは?
          中央支部松田隊友が「個人的」に撮影した尖閣諸島の魚釣島

柏木