鹿児島県隊友会

 会員の活動状況



                   小M隊友県文化財功労者賞を受賞
 隊友会鹿児島地区協議会中央支部の小M博道氏(84才)は11月4日、鹿児島県教育委員会から県文化功労者として表彰されました。小M隊友は鹿児島の薩摩の古楽器天吹同好会会長として平成14年4月から第4代会長として16年の間、天吹の普及に努められその功績が認められました。5日の南日本新聞朝刊にも紹介されました。
                              隊友会鹿児島地区協議会事務局長 後藤光一 記
           

                                     フレンドシップ合同コンサートを支援
 屋久島の隊友会員平田和文氏(アルプス警備代表)は、9月22日(日)、
屋久島離島開発総合センターで開かれた合同コンサートを社員2名で駐車場の誘導案内をボランティアとして支援した。本コンサートは、昨年11月屋久島沖米空軍オスプレイ墜落事故で捜索・救助に協力した住民に対して感謝を伝えようと海自佐世保音楽隊と米海軍第7艦隊音楽隊がフレンドシップ合同コンサートとして開催したものである。演奏会の状況は、翌日の南日本新聞に紹介され盛会理に終了した。
 以下の写真は鹿児島地本の種子島駐在所長と米海軍第7艦隊連絡将校(米国籍:日本人)で、写真向かって右が屋久島隊友会員の平田氏(本人)
                                             屋久島隊友会員 平田和文 記 

                      第7艦隊連絡将校



  向かって左から鹿児島地本種子島駐在所長の中脇淳裕氏、広報官の高田圭介氏、平田和文氏


              尖閣諸島が日本領である歴史的根拠
  福岡の商人、古賀辰四郎氏が1884(明治17)年、探検隊を派遣し、尖閣諸島を発見。その後、日本政府が他の国の支配が及ぶ痕
跡無いことを検討して、1895(明治28)年1月に国際法上正当な手段で日本の領土に編入、日本の民間人が移住し、鰹節工場・羽
毛の採集などが行われ、一時200人以上の住人が住み、税の徴収も行われていた。  
 1919(大正8)年冬、福建省の漁船が尖閣沖で遭難し魚釣島に漂着した際、日本人住民が救護した際に、当時の中華民国駐長崎
領事は翌1920(大正9)年に感謝状を贈ったが、そこには「日本国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記されている通り、尖閣諸島が日本の
領土で有ることを認めている。
 1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約でも「沖縄の一部」として米国の施政下におかれ、1972(昭和47)年沖縄返還協定
でも日本の領土どして返還された。
 中国が「領有権について主張を始めたのは、1969(昭和44)年、国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された2年後
の1971(昭和46)年以降である。
 11月19日加藤官房長官記者会見で現在中国の船、尖閣航行「年間300日以上」と深刻な状態で、11月28日現在の中国公船
確認83日連続(台風以外毎日)先日、日本を訪問した中国要人の発言「尖閣諸島は中国の領土で有ると日本に来て堂々と主張」これ
に対し、マスコミも報道しない・国会でも取り上げない。外務大臣も直ち に反論しない。・・・何かがおかしい?
                                                                 瀬戸内支部長  碩  悟
 参考文献
 1 日本国外務外務省発行の尖閣
   日本の領土をめぐる情勢 (尖閣諸島パンフレット)
 2 ネット「政治」「国際情勢」「歴史」:尖閣諸島が日本領である決定的な証拠とは?
          中央支部松田隊
友が「個人的」に撮影した尖閣諸島の魚釣島

柏木