鹿児島県隊友会

 会員の活動状況

 

 

                                          オリパラ雑感
 2020年東京五輪・パラリンピック競技大会が、7月から9月にかけて開催されました。心身を極限まで鍛え上げた選手たちのパフォーマンスに圧倒され、感動させられました。
 日本勢五輪史上初となる活躍が有りました。柔道の阿部兄妹が夏季五輪初の同日金メダル。レスリングで川井姉妹が夏季五輪同一大会で初の姉妹金メダル。また、卓球混合ダブルスで水谷隼・伊藤美誠ペアが、卓球が正式競技になって以来独占状態だった王国中国を大逆転で倒して卓球界初の金メダルを獲得しました。
 スケートボードで13歳(中2)の西矢椛選手が最年少で金メダリスト、12歳(中1)の開 心那選手が最年少のメダリスト(銀)となりました。子どもたちにとって五輪スポーツがとけこみ、「将来なりたいもの」だったメダリストが「今なりたいもの」に代わっていくかもしれません。パラでも史上初となる活躍が有りました。競泳で14歳山田美幸選手が夏冬パラを通じて最年少メダリストとなりました。山田選手は、先天性の四肢欠損で両腕がなく、両脚の長さが違います。私は競泳をやってきましたが、手指の爪を切っただけで、指先で水をキャッチする感覚に影響が出ます。微妙な感覚が必要な競泳で、山田選手は、自分の体に合った「最適解」の泳法を編み出し、「ない」ことを嘆くよりも「ある」ものを徹底的に突き詰めました。自転車で杉浦佳子選手が、夏冬通じて日本勢最年長となる50歳で金メダルを獲得しました。パラの選手は「ただただスゴイ!!」
 忘れてはならない選手に谷(旧姓佐藤)真海選手がいます。東京大会招致の立役者の一人で、「承知の顔」です。東京開催が決まった13年9月のIOC総会のプレゼンテーションで日本のトップバッターでスピーチを行い、英語で「スポーツの力」を訴えました。「私にとって大切なのは、私が持っているものであって失ったものではない。」という一文に心を打たれます。パラでは、開会式で日本選手団の旗手を務め、出場したトライアスロンで10位でした。陸上走り幅跳びで3回、トライアスロンに転向して1回、計4回出場しました。「メダルに縁のないパラリンピアンだったけれど、それ以上の大きな宝物をもらった」と笑顔で語りました。 
 自衛隊は、約8500人を以て「東京2020オリンピック・パラリンピック支援団」を臨時編成し、競技会場支援、会場整理、式典協力、競技運営に任ずる部隊を隷下において支援しました。五輪、パラのイベント開始に先立って、空自のブルーインパルスが、会場上空で、五輪マークとスリー・アギトスを描いて花を添えました。また、開・閉会式での国旗・五輪旗・パラ旗、表彰式での国旗の掲揚では、統一してきびきびした敬礼動作等が、華やかななかにも凛として、式典にふさわしい厳粛さと威厳をもたらしました。招致に携わった方々、大会を準備した方々、ボランティアを含めた大会運営者、コロナ禍の困難を乗り越えて大会に挑み、その意義を体現した選手の方々の勇気と努力に敬意を表します。 
 日本が大会をやりぬいた評価は、IOC会長が「無観客開催でも選手が魂を吹き込んだ」、IPC会長が「新型コロナウイルス禍を考えると、日本が行ったような大会開催は諸外国ではできなかったと確信している。世界は日本が果たした役割を決して忘れない」と述べた総括に尽きると思います。大会関係者が見せてくれた努力、執念は、厳しい訓練を重ね、国家防衛の本来任務、国際貢献活動や災害派遣において、多くの困難を乗り越えながら黙々と任務を達成していく自衛隊員の姿と重なるものを感じます。                                                              薩摩川内支部長 小楠功一 記

              
                     写真は文面とは関係ありません

   

                    防衛ホーム10月号に掲載(防衛ホーム新聞社に届け出済)

                            いちき串木野支部の田渕隊友、地域見守り活動で紹介
 いちき串木野支部事務局長の田渕 明さんは退官後、地元に戻り、川上安全会に所属し、自家用のジープで15年にわたり同地区の安全パトロールを実施し地域の安心安全のために活動してこられた。
 7月11日付の南日本新聞で「三菱ジープで見守り15年」と紹介されました。
                                   県隊友会事務局次長 後藤光一 記 
          

                姶良支部会員ご子息から寄付受け
  令和3年5月20日、満90才でご逝去された故人「坂元忠光」様のご子息から県事務所に連絡が入り、生前父から隊友会姶良支部への寄付を依頼されており隊友会にはお世話になりましたとの事で、高額な寄付をいただき、姶良支部活動のために使って下さいと宮口会長に手渡した。会長は姶良支部会員でもあり、早速同日のうちに姶良支部事務局に届けた。
 なお、故人は昭和57年3月、第12普通科連隊副連隊長を最後に退官され隊友会に入会されていました。会活動に有効に使わせていただきたいと思います。故人のご冥福をお祈りいたします。
                                    県隊友会事務局次長 後藤光一 記

       
                    左側がご子息の坂元 浩氏 

                                                               
   
 

           山喜見政監事が考案した画期的なキビ運搬車 『ナクイグヮァー機2型』     
 キビ刈りの季節になりました。先日那間の山喜見政監事宅に「しめ縄作成」のお礼に野口会長が伺ったところ、裏の倉庫に今までに見たこともない装軌車両を発見。同氏に聴取したところ、ハーベスタによるキビ刈りのリスク(キビの被害等)を軽減するために考案したキビ運搬車であることが判明。航空自衛隊での勤務歴を活かし、持ち前の旺盛な研究心を発揮され、「手刈り」をするキビ農家に朗報となる画期的なものでした。今年の春先から設計に取り組み、島内外からの支援要請を受け開発費(約50万円)も自腹で作成したもので、今後の実用化に向けて大いに期待したいと思うことでした。                       与論事務局長 佐藤澄夫
 
    


              尖閣諸島が日本領である歴史的根拠
  福岡の商人、古賀辰四郎氏が1884(明治17)年、探検隊を派遣し、尖閣諸島を発見。その後、日本政府が他の国の支配が及ぶ痕跡無いことを検討して、1895(明治28)年1月に国際法上正当な手段で日本の領土に編入、日本の民間人が移住し、鰹節工場・羽毛の採集などが行われ、一時200人以上の住人が住み、税の徴収も行われていた。  
 1919(大正8)年冬、福建省の漁船が尖閣沖で遭難し魚釣島に漂着した際、日本人住民が救護した際に、当時の中華民国駐長崎領事は翌1920(大正9)年に感謝状を贈ったが、そこには「日本国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記されている通り、尖閣諸島が日本の領土で有ることを認めている。
 1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約でも「沖縄の一部」として米国の施政下におかれ、1972(昭和47)年沖縄返還協定でも日本の領土どして返還された。
 中国が「領有権について主張を始めたのは、1969(昭和44)年、国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された2年後の1971(昭和46)年以降である。
 11月19日加藤官房長官記者会見で現在中国の船、尖閣航行「年間300日以上」と深刻な状態で、11月28日現在の中国公船確認83日連続(台風以外毎日)先日、日本を訪問した中国要人の発言「尖閣諸島は中国の領土で有ると日本に来て堂々と主張」これに対し、マスコミも報道しない・国会でも取り上げない。外務大臣も直ち に反論しない。・・・何かがおかしい?
                                                                 瀬戸内支部長  碩  悟
 参考文献
 1 日本国外務外務省発行の尖閣
   日本の領土をめぐる情勢 (尖閣諸島パンフレット)
 2 ネット「政治」「国際情勢」「歴史」:尖閣諸島が日本領である決定的な証拠とは?
          中央支部松田隊友が「個人的」に撮影した尖閣諸島の魚釣島



柏木